境内案内

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​本堂

御本尊に木造釈迦如来坐像《 1958年(昭和33年)1月24日宇都宮市指定有形文化財》をおまつりしています。

興禅寺は、宇都宮氏8代目当主である宇都宮貞綱が、かつて黒羽雲巌寺で第五世住職をしていた真空妙応禅師のために、1314年(正和3年)、地蔵堂があったこの地に寺院を建立して興禅寺としたのが始まりとされる。真空はその後、宇都宮貞綱の弟・宇都宮泰宗の子である宇都宮貞泰に招かれ、伊予国大洲に冨士山如法寺および横松山西禅寺を開山したとされる。

室町時代には宇都宮氏の興隆とともに隆盛を誇ったが、1549年(天文18年)、喜連川五月女坂の戦いにおいて第20代当主宇都宮尚綱が敗死すると、これに乗じた壬生勢が宇都宮城下に乱入して占拠、この折の戦火で焼失してしまう。第21代当主宇都宮広綱によって復興するものの、第22代当主宇都宮国綱が豊臣秀吉によって領地を剥奪されたのに伴い、当寺も一時廃寺となった。

江戸時代に入って奥平家昌が宇都宮城主となるとその勧請を受けて復興され、家昌・忠昌の奥平家父子2代が菩提寺としている。なお、江戸時代の仇討ちの一つで知られる浄瑠璃坂の仇討は、忠昌の子である昌能の在藩中における当寺での刃傷事件(宇都宮興禅寺刃傷事件)が発端となっている。

その後は、明治維新時の戊申戦争の戦火や太平洋戦争において多くの堂宇を焼失、戦後再建し現在に至っている。

当山の御本尊様、釈迦如来坐像は像高91㎝等身坐で像寄木造り玉眼である。南北朝時代、足利幕府といちはやく結びついた定朝の流れを汲む京都の院派仏師達の作である。慶派仏師が強さや写実を強調したしたのに対して、院派仏師は「穏やか」「保守的」「まろやか」を特徴としている。 

 

当山の釈迦如来は穏やかな面相と法衣の柔らかさを表現する布の折り返しや襞を作る神経の細かさを具え、全体的にはゆったりとした雰囲気を醸し出している。

坐像の底面に、北朝の年号「文和元年(1352)」と仏師名 法印院吉(ほういんいんきち)・法眼院廣 (ほうげんいんこう)・法橋院遵(ほうきょういんじゅん)」という仏師の名が刻まれている。また寺伝によれば院派の典型的ともいえる釈迦三尊が釈迦堂に安置されたとされるが、光背蓮台、両脇侍像を幾度かの罹災により喪失しました。現在の光背蓮台は平成になり現本堂に合わせて作成されたものです。

同仏師達の仏様は浜松市臨済宗大本山方広寺の釈迦三尊(北朝年号 観應3年(1352)国重要文化財)(http://www.houkouji.or.jp/img/shakasanzonzou/zennyou_shakasanzonzou.jp)に欠損していない宝冠姿の仏様達を見ることができます。

その昔、方広寺の釈迦三尊は同年代近在の茨城県東茨城郡城里町の清音寺(南禅寺派)の仏殿に祀られていましたが、明治後期に特に懇請して浜松市臨済宗大本山方広寺の御本尊としてお迎えしとの事。光背裏には元禄三年に徳川光圀公が清音寺に参拝の砌(みぎり)、損傷甚だしきを憂い 修復された 旨が銘記されています。

​本堂前

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山門・中門・鐘楼

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庭園

春ハ春、夏ハ夏、秋ハ秋、冬ハ冬、
天然自性、無別事。
先代 元海和尚 作庭

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​永代供養

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石庭

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​季節の草花

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  • 神護山 興禅寺
栃木県宇都宮市今泉3-5-13
TELL:028-621-0507
JR宇都宮駅より徒歩5分